猫丸邸騒動記

猫よりも 猫らしくとや 猫の道

ベリホで上から通信

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「新居は階段を千段上る」

 Fからの新しいメールにはそう書いてあった。
 引っ越すことになりそうだとは聞いていたが、千段というのは普通じゃない。もっとも、普通のメールなんか、来ないのはわかっているのだけれど。

「見晴らしがとてもいいので送ろう」

 見晴らしがいいというのか、何というのか。送られてきたのは、画面いっぱい、青い絵の具で塗ったような空が切り取られた写真だった。

 私は神社で拾ったそれをベリホと呼んでいる。名づけたのは、友達の弥生だ。スマートフォンよりももっと小さくてスマート、ベリースマートフォンだから、ベリホ、というのが命名の理由で、なるほどとても小さい。学生証くらいのサイズで、もっと薄い。それなのに、ちゃんと光る液晶のような画面がついている。
「いいなあー、ベリホ。わたし、最近ずっと下見て歩いてるけど、ぜんぜん落ちてないよなあ」
 弥生は始終うらやむし、珍品であることは認めるが、正直、それほどいいものとも思えない。メールを受信するのだが、文字を入力しての送信はできない。受信しているのも、本当に「メール」と呼んでいいものだか、よくわからない。
 最初は、画面に見たことのない模様が現れたのだ。背景は黄色くなったりピンク色になったり、一定しない。その中に、いろいろな長さの細い毛虫かミミズが、丸まったり、反り返ったり、てんでばらばらなポーズを取っているような、変な画像だった。背景の色がどんどん変わるのだから動画なのだろうが、じっと見つめている間は動かない。写真にも、色鉛筆やクレヨンで描いた絵にも見えた。

「外国語?でも英語じゃなさそうだし、漢字とかハングルでもないねえ」
 初めて見せた時、弥生が大して驚きもしないことに何より驚いたが、「すぐに戻ってくるから待ってて」と言い残して去るや、三十分もせずに、両手に持てるだけの本を持ってまた登場したのにはもっと驚いた。
「どうしたの、すごい本ね」玄関ですれ違って声をかけたうちの母に「レポートあるから一緒に調べようと思って」と言い訳までして。
 ベリホを拾ったことは弥生以外の誰にも言っていない。弥生も誰にも明かしてはいないはずだ。ちょっとずれたところのある子だけれど、そういう、しないほうがよいことへの嗅覚だけは鋭いせいか、友達は少ないのに、嫌われたりいじめられたりもせず、マイペースで好きなことばかりしている。私は弥生の好きなマニアックなゲームだの本だのの話にはまるでついていけないが、何となく弥生の世渡りの流儀みたいなものを真似したおかげで、めんどくさい高校生活をわりと快適に送ってきた。それに、話は合わないけれど気が合うというのか、何だかんだでいつも一緒にいる。
 お姉さんに借りてきたという、ありとあらゆる語学や古代文字の本を広げながら、ああだこうだと言い合ううちに、ベリホ画面のミミズ文字は次第にカタカナに、じきに漢字混じりのひらがなに変化した。
「ベリホには人工知能が搭載されていて、わたしたちの会話を聞いて日本語を習得したに違いない」というのがSFやファンタジーをこよなく愛する弥生の解釈で、私は信じ切ってはいないのだが、他に説明もつかないので、そんな気がしてきている。
 その後何度も交信するうち、私たちは、悪霊として祓われて閉鎖空間に追いやられようとしていたとある超能力少女のメッセージをキャッチし、彼女を手伝ってひとつのパラレルワールドを救い、その際、弥生のお姉さんである語学マニアの女子大生、朔実さんにだいぶ力を借りたのだが、それはまた別の話だ。
 とにかく、この世界ではない可能性の高いどこかからの通信が、時々ベリホにはやってくる。直接出会ったところで言葉も体も違いすぎる存在同士の間を、取り持って通訳してくれる機械らしいのだ。近頃はベリホの日本語もだいぶこなれてきた。
 文字で返信はできないが、話しかけると意志が通じることもある。全然通じない場合もある。かと思えば、心で思っただけのはずが伝わってしまうことだってある。魔法のようなベリホだけれど、やはり異界人との交信は難しい。最近の通信相手、つまりFが、人間なのか妖怪なのか宇宙人なのか、まだ全然わかっていない。
「いいよねぇ、異界の人と運命的な出会いとか、あるかもしれないよ」
 弥生はベリホに飽きる気配はなく、相変わらず熱い羨望を隠さない。
「まあまあ、しょっちゅう一緒に通信してるんだから、弥生にだって出会いがあるかもしれないじゃん」
「ま、そうだよね」
 別にベリホを弥生に譲ってもいいが、こんなふうに機嫌がすぐ直るのだから、興奮しすぎて何か言葉を外に出さないと気が済まないだけなのだろう。むしろ、弥生がはまりすぎると危険なので、渡さないほうが賢明だ。今までのゲームや本の例から身にしみている。それに実は、夜寝る前などに、反応がなくてもベリホに話しかけるのがちょっと楽しくなってきたのも確かだった。
「今度のFって人さあ、なんかちょっと上から目線だよね」
 弥生がかすかに不満そうにつぶやく。先日旅に出るからと最後の通信を送ってきた銀河間航空技師の宇宙人のことをやけに気に入っていたから、比較してしまうのだろうか。
「そう?まだまだベリホの翻訳がヘタクソで、変な日本語だからそう見えるだけじゃない」
「うーん、そうかなあ」
 こんなやりとりもベリホを通じてFに伝わっているかもしれないことは承知の上だ。何せ反応はたまにしか返ってこない。私たちの通信法が悪いのか、ベリホが怠慢なのか、相手との時間軸が違うのか、さっぱりわからないのだからどんなことでもチャレンジあるのみだ。今日も春休みの1日を全部使う勢いで部屋に引きこもり、通信を試みている。
「Fは山のお寺とかで修行をする人なの?お坊さんとか。お坊さんってわかるかなあ。あのね、わたしたちのところじゃ、階段が千段って、なかなかありえないことなんだよね」
 弥生は「千段」をヒントにFの世界に迫ろうとしているようだ。
「あ、それかもしかして、すごく体が大きくて脚が長くて、一歩で千段上れちゃうんじゃない?」
「だったら階段いらないだろ」
「そっか。でもほら、巨人と小人が両方いる世界だとかさ」
「うん、相当な異世界の可能性はあるな。この間の写真からして、空が青く見えるところなのは間違いないけど。おーい、私の身長は155センチくらいだよー。って言っても、センチがわからないかぁ」
 その時、2時間くらいは反応がなかったベリホの画面が光り、新しい文字列が表示された。

「階段、千段上るのはたいそう高い位置、千段下りるはたいそう低い位置、それは大変尊敬が大きい」

 二人ともしばらく凝視ののち沈黙してしまうのはよくあることだ。
「尊敬されるところに住みたいから階段千段の家に引っ越したってこと?上から目線ていうか、単に変なやつだなこいつ」
 弥生は壊れたロボットみたいに何度も頷いてにやにやしている。続いてまた画面が光った。

「わたくしに敬意を払ってわたくしの子が作ってくれたのだこの新しい建造物を」

「えー、Fって子供いるんだ。けっこうおじさん?それかおばさんか」
 Fと弥生の会話が盛り上がってきている。会話、といっていいくらい通信が続くことも、今のように時々あるのだ。日本語が急に上達するなど、ベリホが大きくバージョンアップした時に多い。

「おじさんおばさんのこと、その種類はわたくしと大変遠い。しかしわたくしの子、おじさんと近い」

「うーんと、Fはおじさんでもおばさんでもないけど、子供はおじさんに近いと。息子なんだ?」
「おじさんやおばさんを超越した年齢ってことかな、それとも、性別が3種類以上ある世界だとか」

「3という数、衛星を意味するのことがある、弥生、関係する、今の時間」

 ベリホの日本語が上達したとはいえ、やはりFの言葉の多くは意味不明だ。だが、あることがひらめいた。
「あれ、衛星って、月のことでしょ。これってもしかして、弥生の生まれたのが3月かって聞いてない?」
「おおっ、誕生日のこと聞いてくれてる?」
 すぐに返信が来た。

「誕生日、あなたのところ、生きている人はよろこぶ。生きていない人はわからない。わたくしたち、生きてない人の誕生日、よろこばせない」

「また、よくわからないことを。Fの世界では、死んじゃった人の誕生日はお祝いしないってことかな」

「それ正確な意味。お祝い、祝福、しない。死んだ人、忘れられないが、お祝い、しない」

 画面の背景が心なしか暗くなり、Fが沈んでいるように感じられる。
「弥生、もしかして、Fってもう死んじゃった人なんじゃない」
 生まれるとか死ぬとか、そういうこともない世界なのかもしれないのに、なぜかそんな気がした。
「そうかも。わたしたちは、今日は死んだおばあちゃんの誕生日だなあとか思うけど、Fのところは違うのかな。それとも、もっと盛大に祝ってほしいのかな。とにかく誕生日のお祝いしてもらえなくてさびしいんだ。誕生日、いつなの?」 

「四つ目と五つ目の衛星の二番目に交わってから三周回」

 弥生の問いかけは的確だったようだが、答は私たちの理解を超えている。
「あーだめだ、異世界過ぎてわからない。それよりもしかしてFの新居って……お墓?」
「新居ってことは、亡くなったばっかりなのかな。階段が千段もあるお墓を、息子が作ってくれたってこと?」
 Fが黙り込んだ。
 正確には、ベリホの反応が途切れたということだけれど、私たちは何やらしんみりしてしまう。が、数分後にまたベリホが光った。

「お墓と家とは同じもの。わたくしは死んでからも同じ家にいたけれどわたくしの子が新しい家を建設してくれた」

「ふーん、新しいお墓を建ててくれたんだ。親孝行だねえ」
「誕生日も祝ってくれたらいいのにね」
 やはり少し自慢げな上から目線は見逃して弥生も私もいつしかFを慰めるような口調になっていたが、
「いや、ちょっと待て。階段が千段ある墓って何だ、ピラミッド?」
「もしかしてFってすごく地位の高い人?ファラオとか」
 二人、息をのむ。

「わたくしの子が王位を継いだ時から秘密の建設がはじまっていた。新しい家、わたくしの子からのサプライズ

「あー、ほんとに王かよ」
「セレブだね」
「上から目線のはずだよ。もういいじゃん、死んでも尊敬されてるんだから誕生日とかどうでも」
「ところで弥生、なんで誕生日だとかサプライズだとかいう概念がFに伝わってたんだと思う?」
「ベリホのやつ賢いからなあ」
 弥生はベリホを放り出して寝転んだ。鈍いところはとことん鈍い子だ。
「ちょっと早いけど、誕生日おめでとう!最近私が散々サプライズだとかプレゼントだとか、ぶつぶつ話しかけてたからだと思うんだよね。はい、これあげる」
 私はここしばらく悩み抜いて選んだプレゼントを差し出した。誕生日は明日だけれど、この状況で今渡したくなったのだ。
「え、何それすごく嬉しいんだけど!見てもいい?」
 目を輝かせて早速ラッピングを解こうとしている弥生にふと話しかける。
「Fってちょっと変だけどいい人だと思うよ。弥生の誕生日どうしようってしゃべってた時、メールは来なかったけど、時々画面が光ったり、色が変わったりしてたんだ。きっとさ、プレゼント何がいいとかいう相談にはわからなすぎて乗れないけど、はげましてくれてたんだよ」
「それで生きてた時の誕生日のこととか、思い出しちゃったのかな。そっか、ごめんねF。誕生日の時は教えてよ、三日前くらいにさ」
 またしんみりする私たちなのだった。いつか生きることが終わって、弥生も私もどこか別の世界に引っ越すのだろうか。階段が千段もなくてもいいけど、誕生日の思い出を持って行けるなら、悪くない。それに、持って行けなくても、今日という日がなくなるわけじゃないのだから、いいのかもしれない。
「あ、メール来た」
 弥生が手を止めてベリホをつかむ。

「弥生、わたくしからも誕生日の祝福を与えよう」

 満天の星空が送られてきた。

「ほんとに上から目線だな」
「いやでも、星空は下から見上げるものだよ?」
 と、同感だったが一応フォローしておく。
「宇宙の彼方からこっちを見上げたら、見下ろしてるのと同じでしょ」
「じゃあ向こうから見たら、私たちのほうが上から目線かもね」
「あははは、確かに」
 プレゼントを開ける手が、あと少しのところでまたもどかしく止まるのだった。

 

お題「引っ越し」で書きました


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